2019-09-07

今欲しいもの

・薄い鉄板

・ガーゼ

・真っ白のシーツ

・自分の部屋

・猫の小屋

・鉄分のサプリメント

 

去年の今頃は働き詰めで、中等度くらいの熱中症と重めの貧血と飲んでた薬の副作用がガッツリ重なり、高熱と目眩と吐き気と記憶障害で地獄だったのを思い出した。

今日は星がよく見えた。雲も月もなかったから。猫はやわらかい。抱っこすると困ったような声で鳴いてかわいい。右耳だけにあけたピアスようやく最近痛くなくなってきた。お母さんのピアスあけエピソードはじめて聞いて笑った。

このくらい何も無い土地でないと私は生の実感を得られないのかもしれないという不安。都市が、人の作り上げた幻想だということ。

 

私には道具がない。歌や絵や造形ができない。それに代わるものがきっと料理なんだと思う。

 

レタスの裏にくっついてたぷくぷくの青虫や、シーツの隙間にいたでかい蜘蛛をみつけた。

古い家に近づくと香る、雨風に晒された木材と土埃の混ざった匂いや山の匂いを嗅ぐと、自分の生まれてからこれまでの中で、いちばんここがふるさとな気分になる。私はこの匂いの中で畑で遊んでたしおばあちゃんと柿を取っていたし歳をとったマルチーズと遊んでた。

 

私は何があっても命をかけない。というか、なにか特定のものに命をかけることはしない。これはしばらく言ってることだろうな。毎日は既にゆるやかな自殺の繰り返しだということになぜ気が付かない?眠いのに早起きすることも満員電車に乗ることも嫌な人と一緒のオフィスで働くことも溜まって溜まって寿命を縮めていくと思う。嫌なストレスで長生きできるわけないもんと思う。包丁で切ったり線路に飛び込んだりすることだけが自殺じゃない、自分を甘やかすこと以外はすべて生命への攻撃だ。生活はゆるやかな自殺だ。だったら普通に演劇することだって、紛れもなくそれは、命を燃やすことだろうが。

もし、本気になる、の比喩として、命をかける、と言っているのであれば、それは単に日本語のミスです。

 

 

今年の目標「オンリーワンでナンバーワンになる」だったんだけど、何における話かちゃんと考えてなくて詰んでる。都合のいい時だけこの言葉がチラつく。厄介な文句。

 

 

悪気があってすることなんていっこもないよ。全部悪気がない。だからタチが悪い。昨日の自分と今日の自分の能力値の差の酷さに悩んでる。