2020-09-02
毎日の中にほんの一瞬だけ、空気の無くなる瞬間が、ある。
仕事中にミスをしたとき、好きな人の口元の力が抜けるとき、腿の柔らかさが増したとき。
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ああ私はいつになったら私から解放されるのだろう。
本当に興味のあることしか頑張れないとか、片付けられないとか、優先順位がつけられないとか、光や音に敏感だとか、時間を守るのが苦手だとかの発達障害らしい気質と向き合い社会と折り合いをつけていくことにも疲れてしまって、社員もどきのもどきの分際で「早番は出られません。起きれないからです」の一点張りで社会人の面を下げていたりするのだ。
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最近思い出すつらいこと。
高校3年間の体育で男女合同でプールの授業がそこそこガッツリあったのだが、クラスで私含め二人だけ、旧型の上下が繋がったスクール水着を着ていた。しかも私は胸のところにパットも付いておらず、家に余っていた普通の下着用のパットを不器用に縫い付けて使っていた。ちなみにもう一人はとてもスタイルが良くて、それも私を恥ずかしい気持ちにさせた。その子にはなんの罪もないけども。
母に「みんなみたいに上下セパレートになっていて、下は短パンのようになっているものを買って欲しい」と真面目にお願いしても「そんなのお金が勿体無い。高校なんだからそんなにプールの授業があるわけじゃないし」と言われて終わりだった。たしかに母の言う通りだなあ、でも恥ずかしいなあと思いながら、プールの授業では仲のいい友達にむき出しのパットを見せて笑いをとったりしていた。
普通に考えて、10代後半の女が下着同然の格好をして大勢の異性の視線があるところに居ないといけないのなら、親としては最大限の配慮をしてくれてもよかったのではと思う。別にこれはフェミニズムとかそんな話をしたいんじゃない。(私はネットでそういう話をしないという主義です)。私が男だったら女子の水着姿を舐めるようにきっと見ますよ。
授業の回数が1回でも100回でもそんなの問題じゃかったとも思う。
この出来事に対してはもうこれ以上は何も思わないけど、もし自分の子どもや姪っ子あたりの子が同じように悩んでいたら、私はすぐに上下セパレートで短パンタイプの水着を買ってあげようと思っている。
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一人暮らしの私のお守りは、無水鍋のセットだった。
それで煮物を作ると本当に美味しくなったので、特に冬場はいろんな具材で煮物をこしらえた。
土井善晴先生が味噌汁になんでも入れるのに倣って、私は煮物になんでも入れた。
秒針の音さえ大きく感じる寂しく狭い部屋で、自分の作る料理を食べる時間は、なんだか子ども時代のおままごとの延長のようであったし、自己救済のための間抜けな儀式のようでもあって、少なくともあの激しい日々の中では無くてはならない行為だった。
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「君はもう何も諦めなくていい」
「君のことを何も知らない人間が君に対し“もっと頑張れるはずだ”などと言うが、聞き入れる必要は無い。君はもう既に努力している」
と大事な友人に言ってもらった。ありがたいね。何も頑張ってないけどね。
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