2020-12-29

今年を振り返ると、何だか私の人生ではないようなことばかりが起きて、私の人生らしくない日々を送っていたと思う。地元に根を下ろして生活をした。同じひとつの仕事をやり続けた。職場の人と仲良くなった。私のことを傷つけまいと大事に思われることの安心感を知った。演劇をやらなかった。本を読まなかった。

 

私は、以前の東京での生活を愛していたし、今も想っている。演劇が出来る。知らない演劇や同業者がたくさんいる。大きな本屋さん、服屋さんがある。24時間いつ外にいても怪しまれることも無い。時間刻みで毎日違うスケジュールをこなし、毎月新しい人と出会った。お酒を毎日飲めた。徒歩圏内のスーパーを選ぶことが出来たし、肉屋さんに寄る時間が好きだった。私をいびってたおばさんも、あだ名しか知らない男の子も、お客さんの前で私にキレたバイト先の兄さんも、みんないつしか消えた。

 

子どもの時から、毎日同じ時間に、同じ場所で、同じことをするのが苦痛で仕方がなかった。小学生の時にはもう「大人になったら、こんな生活は絶対に送らない。同じことをするのが本当に辛い。」と何度も何度も思った。毎朝起きると、酷い吐き気に襲われて、それでも何とか支度をしていた。そして遅刻や欠席が多かった。

この間、母から、私が夏休み最終日まで宿題を全くやらなかったことがあったときいた。それを知った当時の母は憤怒して、私のランドセルやら何から何まで外に放り投げたらしい。全く覚えていない。事ある毎にランドセルとかを外に投げ出されて、自分の体も外に引っ張りだされてたのは覚えてるけど(虐待と言うよりも、昭和ぽい教育である)、宿題を全くやらなかったのは覚えてない。でも、とても私らしいなと思って爆笑してしまった。そしたら母はまた怒った。(この生き物のことは、死んでもよくわからないし、分かりたくもない。)私は生まれてから大人になっても、夏休みの宿題を全くやらないまま新学期を迎える。死ぬまでそうだ。歳ばかり食って、“先生”たちは皆年下になり、私に何も言えなくなって、私は歳を追うごとに変人扱いされて、死んでいく。

やりたくないことは、本当にやりたくないし、出来ない。実際にパフォーマンスがめちゃくちゃ下がる。高校3年になっても、勉強をやりたくなさすぎて、それでも頑張って無理やり机に向かうと涙が出てきた。バイトも調子が悪いとありえないミスばかりしていた。(今もそう)

 

コロナで演劇界全体が足止めを食らい、コロナ関係なく演劇を休止していた自分はなんだかラッキーだったのか何だったのか…もう「なんだったのか?」がテーマの2020だった。

演劇のワークショップにはいくつか参加した。でも、舞台には一回も出演していない。ここでしか言えないことだが、“このご時世”の中で公演を打つことに対して、本当にそれは志が高くないと出来ない事なのはもちろん、演劇好きにとってこの上なく嬉しいことなのだ、尊いことなのだ、という認識ではいる。でも私は、どこか心が痛んでしまう。その理由はうまく言葉にできない。どうしてそこまでして、と疑問を抱いているのか、単純に自分が参加出来ない(みにいけない)嫉妬心なのか、「コロナ禍なのに頑張っている公演」という前提が無意識のうちに働いてしまうからなのか…。

私は、自身と演劇の距離のとり方を掴めないままでいる。もうスキルは一旦全てゼロになってしまっているし。いや、私のスキルなんて、技術なんて立派なものではなく、もともと小手先の誤魔化し術でしかなかったが。

魂がしびれ、身体中にアドレナリンが駆け巡り、溢れる感情が自我さえ置いてけぼりにしてしまうような、そういう芝居を、もう何年も観ていない。もっと劇場に行かないといけないね。まあ、いうて私なので、目と鼻の先で「あーーー!!」とでかい声出されればそれだけで上記の現象は起きます。

 

「安定」「事件が起きないこと」「穏やかなこと」「静かなこと」を望み、故郷に帰ってきて、もう1年半が過ぎた。山の麓の街灯もない田園を、オンボロの軽で走る生活を、私はどう思っているのか、自分でも掴めない。コロナを言い訳にして逃げている気がする。私のことだからきっとそうなのかもしれない。

諦め、があるのかもしれない。私のような人間が、自分の好きな場所で好きな人たちと暮らすなんてそんな贅沢はいけない、と思っている節がある。誰も得しないこの認知の歪み。それと同時に自分だけのメシアをきっと求めていて、最悪である。

 

私に抱っこされて、赤ちゃんみたいに寝ぼけた猫を愛でる時間だけが私を救ってくれる。