2020/07/17

“過去は過去”と割り切ることができたら、どんなに楽なんだろう。スマートなんだろう。大人なんだろう。

過去は過去、その通りだけども、今も未来も地続きであるから、まったく別物だとは思うことが出来ない。

常に1年前の自分の気持ちと今を照らし合わせながら、過去の自分の未来の見立て(つまり今)が間違っていなかったか確かめている。

内面的なことは予想していたとおりで、しかし周りを取り巻く環境は全く想像していなかったことになっている。でもこれは毎年そういう傾向なので、それ自体は驚くことではない。

 

生まれてもうそろそろ24年。

自分の人生の悩みに悩むのにも飽きてきている。あきらめ?開き直り?分からないけれど。

自分が幸せになるのを止めているのは他でもなく自分なような気がしているのだ。20歳くらいの時の私は、“今、生きているということは神様に生きることを赦されているということ。つまり、生きている限り何とか生きていられる”という自分で考えた語感の悪い言葉を、お守りとして心に彫り込んだ。当時よりはずっと酸いも甘いも経験したけど、今でもそう、なんとか生きていかなければ死んでしまうと思って生活を送る。

 

今回のコロナ禍によって、以前にも増してこの国のことを嫌いになってしまったし、しかし一方で自分という人間を落ち着いて見つめ直すこともできた。

 

罪悪感に襲われて眠れない夜は、ミセスフィクションズ「伯爵のおるすばん」のラストシーンを想起する。ああ私も人生の終わりの瞬間に、あの人やあの人やあの人とも、笑いあって乾杯をしたいよ。