人の相談にのった

バイト先に一つ歳上の先輩の女の子がいる。髪の毛がふわふわで長くて、色が白くて、瞳の明るいひと。

数ヶ月前、緊急事態宣言が出る直前の閑散としたお店の隅っこで、「私ね、絵を描いてるんだ」と教えてくれた。

このお店で週五で働きながら、絵を描いては展示会に出したりしているらしい。

「だからね、演劇をやってるっていう廣瀬さんが入った時、嬉しかったんだ。歳も近いしさ」と続けてくれた。

退勤したら誰よりも早く家に帰るのも、絵を描きたい為らしかった。

 


一昨日の閉店間際、私の持ち場の倉庫に彼女が「マジ疲れた〜」とやってきた。

「廣瀬さん、相談があるんだけど」

「えー、なんですか。私に?」

「うんそう。」彼女の返答はいつもサラッと一言で、私はその媚の売らなさと素直さが好きだ。

 


「廣瀬さんはさ、たとえば、すごくすごく憧れてた劇団のオーディションに受けて、でも落ちてしまって、次の年もそこがオーディションやるとしたら、参加する?」と、私のフィールドに落とし込んで質問をくれた。なんとなく彼女の悩みの概要は掴めた。

 


私は、よほどのことがなければまた受けると結論を先に答えて、オーディションの内容にもよるけど、WS形式だとしたら、憧れている劇団の稽古を受けられるだけでも楽しくて勉強やヒントになるし、落ちても何度も挑戦することがひとつのアピールになるし、次いつオーディションやるか分からないし、何かの間違いで合格をもらうことも全然有り得るから、と理由を続けて、でも、劇団や演出家と人間性レベルで合わないと感じれば二度と受けないとも言った。

答えながら、案外自分の中に考えがあったことに驚きつつ、ああ凡庸なことしか言えないなと思って、恥ずかしくて仕方なくなってしまった。

 


彼女は、うんうん、と相槌を打って私のつまらない返答を聞いてくれて、最後に「廣瀬さんに相談してよかった。私、絵をまた出す!去年、誕生日に落選の通知が来て、それがすごく悔しくて、でもそのおかげでこの1年頑張れたんだ」と、話してくれた。

 


「私、全然ためになること言えてないので、多分それは、○○さんの中で“来年に先送りしないで、今年もチャレンジしたい”って気持ちがあったってことだと思いますよー」と照れ隠し(でも本気でそう思った)をした。

 


最近考える。

この人生において一番私が頑張ったことは、演劇だ。でもそれは、消極的な理由による。勉強も大学進学も資格取得も労働も挫折をしまくった私が数年前に選べた選択肢が、それらを一番には問われない表現の道しかなかったから。あと、たまたま私は人前で大きな声を出すことが全く出来ないわけではなかったから。

「演劇するために上京してきたの?偉いね」と(お世辞も込みだろうが)言われる度に、いやいや私は夢を追った訳ではなくて逃げて逃げてここに来ただけなんです、ごめんなさい、という気持ちに苛まれた。

そんな弱い私は、次第に出来た演劇の仲間や先輩方に甘え、頼り、相談し、なんとか何でもないような顔をして板の上に立っていた。

 


そして、演劇からも(精神的、物理的両方で)距離をとっている今になって、表現という意味では同じフィールドのひとの助けになれたことに、なんというか、拍子抜けしてしまった。

 


助けだなんて大げさだけれど、少しでも他人の決断に関わったことが、怖かったけど、でも今まで頑張ったことが人の役に立った気がして、すこし嬉しかった。

 


話はこれで終わりです。