記録

本当は今ほど人に頼らないでも生きていけるんじゃ無いのか?これが錯覚だとしてもそういう錯覚が起こるという時点ですこし自分のこと過大評価してるってことかしらね。でもやっぱり人と関わっていたいよ。今あるもの、山山山山ショッピングモール山道路車車ツタヤ山山。人はどこですか?いやほぼ毎日何百人分のレジ売ってるけどそれは人対人じゃ無いじゃん。基本寂しい。

本当は本当は本当は、目標とか夢無いんですごめんなさい。気持ちよく生きたい、気持ちよくなれないなら死んでいい。穏やかさとキラキラを良いバランスで得たい、そのためだけに努力したい。住みたい場所は東京と、縁もゆかりもない田舎の一軒家。一回きりの人生じゃ足りない。

パートにならんかと言われたんだ。ありがたいことです。でもすごく怖い。東京も演劇も友達も私のためだけの人間らしい生活も遠のくから。東京じゃなくても演劇できるっていうけどその意見自体が都会人の感覚なの分かって。だって私は全部欲しい。全部欲しいんだよな。これがいけない。

 

始めて2日目の初心者がボルダリングを語る

ボルダリングに行ってきました。

人生で二度目です。

1回目は先月に友達と新宿のジムに行きました。今日は、一人で地元の(と言っても車で30分余りの)ジムに行ってきた。今のところ、前腕の筋肉痛が一番大きく、体幹部に疲労感がある。いい感じです。正しいことかはわかりませんが、運動したぜ〜という感じはいいです。

 

私はめちゃくちゃ初心者で、グレードで言ったら下から3番目くらいのレベルしかスムーズにこなせないくらいなんですが、ボルダリング、楽しいです。

以下、ほぼ文化系部活出身で超絶初心者の私が楽しいなと思ったところを挙げます。

 

◎急かされない。

個人競技なので、チームメイトに合わせたり気を遣ったりしなくていい。自分の好きなだけ休憩も取れる。一人で来たら好きなだけジムに要られる。自分の集中や気分が基本的に他人によって乱される心配がない。

 

◎自分のレベルに合ったコースがある。

ボルダリングをやる前は、「なんかすげ〜筋力ある人たちがヒョイひょいって登ってそう…私にもできるのだろうか」というイメージでした。でも実際は、難易度別のコースが用意されているので、自分に合ったものに挑戦できます。だから、「お、この級は意外と余裕だった!」って思えたら自信がつくし、何度か挑戦してやっとゴールできたら達成感を得られるし、なかなかクリアできないものには闘志が湧きます。日常生活で闘志を湧かせることはあまり無いのでエキサイトします。

 

◎頭を使う。

意外と頭を使います。ヒョイヒョイ登れる人たちって本能でやってると思ってたんですが違うみたいです。オブザベーションという用語があって、これはスタートする前に、自分が登ろうとしているコースを確認し、どの出っ張り(ホールドというらしいです、ややこしく無いですか?出っ張りってホールド“される”方じゃんね、英語弱者なんでよくわかりません!)をどっちの、手、足で掴んでどう使ってゴールまでいこうか考える作業のことらしいです。何も考えずに登り始めるとわかんなくなります。それで失敗したら、貴重な筋肉の体力(筋肉の体力?)をいたずらに消費しただけになってしまう。

あと、なかなか成功しないってなった時に、今の自分の体の使い方とかを振り返って、じゃあ他にどんなこと使い方ができるのかとか、あのホールドをおう使おうとか考えるのが、すごく頭を動かしてる〜〜!って気分になれます。演劇の稽古みたいだなと思います。

でも私はとても初心者なので、考えようにも明確な答えが出ません。経験も筋力もほぼ無いから、そもそも頭で考えようが無いんだと思います。モヤモヤしてるなりになるべく考えつつも、とりあえず挑戦してみようと思います。

 

◎全部目に見える

どういうことかというと、すごく当たり前のことなんですけど、コースには必ずゴールがあります。で、基本的にそのホールドを両手で掴んだ時点でゴールとなります。これってすごく単純明快なルールじゃ無いですか?両手で掴めた!→成功! 両手で掴めなかった!→残念!ってこれほどわかりやすいルールのスポーツあります?あるかもしれないけど!すごくわかりやすい。

ゴールに至るまでのホールド、つまり自分が今から挑むべき課題も、目の前に存在します。目に見えないホールドなんて無いので。

また、登っている時に足やホールドを確認したくて下を見る時があるのですが、(特に90度未満の傾斜があるところだと、下の壁がよく見えるのでなおさら)結構な高さを感じてしまってうっすら恐怖を感じる時があります。落ちたら怖いと思うんです。

私は脳みその性質上、日常生活で漠然とした原因不明の恐怖を感じることがままあります。調子が悪い時は電車に乗っていても「脱線事故になったらどうしよう…」とか確率がほぼゼロに近いことでも考えてしまう。

けれど、ボルダリングで感じる怖さは、理由が目の前にある。壁とマット。しかも私は初心者コースなのでよほど無理をしない限り「意図せず落ちる」みたいなことは無い。

ボルダリング、全部目の前に現れるじゃん!と感動しました。これは演劇と違うかもしれない。感情とかは考えないので。

 

◎上手い人が美しい

発見でした。上手いなと感じる人たちは体の運びがしなやかで、ダンサーのような体の使い方をします。筋肉のつき方も、動きも美しさがあります。

黙々と自分の課題に挑戦している姿ってそれだけで美しいですが!

 

 

以上、ボルダリング歴2日の私が感じたボルダリングのいいところでした!

ボルダリング興味ある人一緒に行きましょう。

 

2019/12/16

ネバヤンを普通の心持ちで聴けるようになった。驚いている。以前はこう、心がとても、こそばゆい?感じになって聴けなかった。好きか嫌いかで言ったら好きな音楽なはずだったんだけど。NHKホールのライブにも行ったことあるのに。どうして今まで聴けなかったんだろう、どうして急に聴けるようになったんだろう。

 

ある時、「貴女は病人なのだから、できないことがあっても仕方がない」と言われて怒り狂ってしまった。でも怖いのは、どうして怒りが湧いたのか言語化できないことだ。「病気/障害を言い訳にしない」という文言をよく目にするけれども、私はこれを本当の意味で理解することができない。風邪を引いたから休みます、が成立しないということだろうか。足をくじいたので体育を休みます、が通用しないということなのだろうか。自分が病気や障害を持ってしまったことで何かを諦めないといけないのであれば、それを言い訳にするしかない。と思う。だのに私は他人にそれを言われて、つまり「君は病気があるから周りができることができなくて当たり前だ」と言われて、怒ってしまった。私は足をくじいているのに走ろうとしている。遅いなりに走っていたいと思っている。ということなんだろうな。私はこういう泥臭いことがとても嫌いなのに。

 

 

髪の毛ドチャクソ傷んでるから髪の毛ぜんぜん伸びない。ボブ飽きたから、ロングヘア似合わないのわかってるのに伸ばしてる(伸びてないけど)

黒く染めて、色が落ちて茶色になる。の繰り返し。

 

誰にも言えない卑しい夢を抱えている。自分を嫌いになる夢を抱えている。

 

HSPADHD?AC?なんなん?私はストラテラで胃を荒らし腎臓を荒らし生きる。プリズンブレイク怖くて観れないけど芝居やる。

 

売れるために何かすること、1ミリも全部無理になっちゃった。ひろせきくのひろせきくじゃない部分が押し寄せてきてうるさくてたまらない。だからもう諦めた。人気ないなら人気ないなりの芝居する。いつ?知らん。

 

他人の頭の中が怖くて本が読めない。助けて欲しい。

 

仕事いっこやめる。気持ち悪い人間たちに関わりたくない。気持ちわるい。人がやった仕事に文句しか言えないの遅くても大学くらいで卒業しとけよ。私は何か集団のリーダーとかやらんといけない時、自分だけが情報を持つことにメリットがないと思って、率いるの下手なりにも「情報と進捗を共有する」のを意識するんだけど、あいつらはそういうテイを見せながらアルバイトスタッフのこと見下して情報共有も指針も目指してることもなんも言わないで裏でお互いの悪口と不満ばかり言い合ってほんとだせえ。あいつらが好きそうな言葉で言えば、「開拓よりもアップデートを優先しろ」って言いたいね。私の言葉で言わせてもらえば「身の程をわきまえて粛々とやることをやり続けろ」です。現場にくるか言わないくせに自分らの分のまかない無いと怒るのほんとなにって思うよね。向こうも私に色々文句あるんだろうね。生意気な小娘って昔からずっと言われてるけどだいたい私のことそう言ってくる人のこと私もちょうど嫌い。

 

 

「樹紅はどう思う?」ってよく聞かれていた時のことを思い出す。聞いてきた人はもういない。どう思う、の内容が、私の芸術や演劇や表現や人間性つまり私の根源的な部分に言及するものであったことの幸せを今更になって思い出す。今私が自分に問いかけているのは、まずはどの商品の品出しから始めるかということです。

 

 

なぁおい、と自分に呼びかけ続けている。ストラテラ飲んだら頭で考えることが一個になってつまらない。物覚えめっちゃよくなって仕事ガンガンできる。数字がイメージの色に頼らなくてもちょっと覚えられるようになった。後回し癖は治らない。滞納してた水道代払えるくらいには経済状況改善したのに振り込みにいけないのなんで?衝動的に何かしたくなることもなくなった。つまんない。衝動性で生きてきたのに。でも衝動買いは相変わらず。

 

 

2019/09/10

以下の引用は、さっき(2019年9月10日)の私のツイートです。

 

 

生活がとてもシンプルになって(シンプルにした)、二次的欲求をほぼ排除したら、なんというか仏教的な感覚で日々を送るようになりましたね…本当の意味ではもう何も望んでいないし期待もしていないしなあ、みたいな

 もっとこうなりたい、とか、自分まだまだだめだ、とかあるんだけれど、「理想の自分になれない」=「私はダメなんだ」という思考にならなくなったんだよねやっと  理想になれなくても良いし、なれたらやったね嬉しいね、くらいのノリでいき始めたよ

旬の野菜と果物、ちゃんと暗い夜、清潔なベッド、湯船、猫があって、それらさえあり続けていてくれれば私は暫くは平気で居続けられるのかもしれないと思う 具合がいい時も悪い時もあって、それは天気みたいにコントロールもできないただ雨の日は傘を差すみたいに薬を飲むだけ

自分にもうほぼ期待をしていない、というのが大きいのかもしれない  私は私を裏切り続けてきたので…私のせいで私は苦しんだし  私に生まれなければアホほど辛い思いもせずに済んだ  けどそんなの仕方の無いことだから…私は私にできることしかしません

 

もう少し丁寧に書きたくなったので書く。

 

最近の私はまず、意識して生活自体をシンプルにした。「シンプル」と言う言葉の響きが持つ、無印良品感はあまり好きでは無いし、私がここで言う「シンプル」もそう言う意味合いでは無い。本来の言葉通りの意味だ。他人と会う約束を減らしてみる、とか、着る服のパターンを減らす、とか、化粧品へのこだわりを減らす、とか。はあ、まぁ結局、無印良品感はぬぐい切れなかったな。

そして、生活拠点を変える上で意識したことはもう一つあって、それは人間的な欲求を減らすこと。

私は多分、承認欲求だけは人並み、もしくはそれ以上ある。承認欲求と言うか、「肯定欲求」っていった方が私本人としてはしっくりくる感じがする。その欲は多分死ぬまで消えないだろう。でも前よりは、「他人に良く思われたい」という気持ちが少なくなった。このブログだってそう。「こういう(流行りの)文体やことばを使えばウケる」っていうのはなんとなく分かるし、読み手がいる以上ある程度わかりやすく書く必要もあるんだろうけど、そういうことを考え始めると、素人の私は頭がこんがらがって言いたいことが分からなくなるので、最近は好き勝手に書いてるし喋っている。

 

悟りとは程遠いけど、あるがままを受け容れることが人間として一番抵抗のない行為だと思うし、なるようになるさの精神でその時々の波に乗っていれば知らないうちに面白いところに行き着くんだろうな、というのが、今まで以上に実感を伴って考えていることだ。

いや、そうは言ったって、欲しいものはあるし、今の自分に満足してるかって言ったらそうではない。このままくたばりたくないとも思う。欲しいモノだってあるし、こういう仕事したいとか、こういうとこに住みたいだとか、もっと内向的な部分でも自分に満足はしていない。理想があるのだ。けれど、理想は理想なので、実現できないのが普通だし、ていうか実現できないから理想なのだし、だからその理想から実際が離れているということで落ち込むことはない。ないはずなのに、以前の私は「理想に近づけていない自分…まじでクズ…生きてる価値ない…」と本気で思う人間だった。てか生まれてから大体の期間ほとんどそう。

でももう、そういうこと、つまり理想と現実が全く違うのを痛感することが多すぎて、諦めました。努力はしたいですそりゃね。しなきゃいけないと思う。少しばかりの向上心は必要だと思う。けど、理想から遠くにいたって、それが普通なんだからいいんだよ、元気がある時にえっさほいさ歩いて、元気がないときは這えば良いと思うし、もっと元気がないときは寝れば良いと思う。本気で。

 

そんなようなことを考えるようになったのは、やはり田舎に戻ってきてからである。田舎と東京の距離はやはりあると感じる。だからこそ、自分の知ってる世界はざっくり大きく2つあるっていう感じがしている。この2つの世界を相対的に見れるというのは想像以上に良かったことで、精神的な安定がすごい。人間は「自分にはこれ/ここしかない」と思うといずれ息が詰まる気がする。

もっとちゃんとしている人間であれば、どこに住んでいたって、生活を保つことはできたんだろうが、私は甘えることが何よりも好きなのでできませんでした。

私は親とソリが合わないので、いつかここ(田舎)に居るのがダメになるときがまたやってくる。それは時間の問題。けれどもしばらくは、この比較的穏やかな生活が続くことを祈る。

そうは言ったって、具合が良い時とか悪い時とかよくわかんない時とかはあるし、まぁそれについては、静かに耐えるのが一番良いんだよねやっぱり。それしかないよね。

こんなことを考えたりするのは、もう自分自身に期待をほとんどしていないからかも知れない。一旦、一旦ね、現時点で「自分はこういう人間だ」と割り切ってみることにしたのだ。性格や人格は正確に言語化することはできないと思うんだけど、なんとなくのフィーリングでも、割り切ってみること。違ったら都度直していけば良い。

自分はたくさんの人を傷つけてきたし迷惑もかけてきた。多分、他人よりもひどい。私はそんな自分がやっぱり恥ずかしいし、ずっと申し訳ないと思う。私が私に生まれてこなければ、私はこんな気持ちにならずに済んだのにと思うことさえある。できることとできないことの差が激しすぎたり、感受性が大きくて過敏だったり、とか言うとまた「あ〜そういうタイプの子ね」みたいに思われてしまうし、それも仕方がないんだけど…。

でも仕方ないんだよ、そう、仕方がない。そう思う。そう思えるようになったことが、一番大きなことかもしれない。

今までの私だったら、「仕方がないって思うってことは、諦めるってことでしょ!?ダサくない!?なんとかできるかも知れないんだよ!?なんでやる前から諦めるわけ!?」みたいにすかさず(自分自身に)言うタイプだった。でももう疲れたんだよなぁそういうの。

仕方がない、って言うのは、もう少し言うと、「仕方がなさそう、と割り切る」みたいな意味だと思う。ぱっと見で、なんかここいじるのめんどくさそうだな、みたいな。そこいじるの試みるのであれば、それよりもあっちの簡単に動かせそうなやつから手をつけたほうが効率良くない?っていう風に、仕方がなさそうだな、と感じるのは一旦放っておく、という、力。

じゃあ、その「簡単に動かせそうなやつ」って言うのはつまり簡単で、「今の自分にできること」だ。

「いや、今の自分にできることだけやってたら成長しないでしょ!?!?」と言う気持ちもわかる(私がそのタイプだったので)。が、じゃあ聞くけれども、今の自分にできることを100%に近い状態までやっているのですか。今の自分にできることを8〜9割の達成度を狙ってやるって結構難しいんだと、最近やっと気がついたんですよね。少なくとも私にとっては。

てか、所詮たった一人の人間が、あれもこれも何もかもオールマイティにやるって、普通はなかなかできない。時々できちゃう人もいるけど、不器用な自分がそれに当てはまるかって考えたら…。

だったら、自分にできることをなるべくちゃんとやろうとすることが、結局はいちばんの誠意になると思うんだよね。

今の自分にできること以上の能力が欲しい、と思う向上心を否定するわけではない。その能力は多分、意識せずとも知らないうちに身につくと思うんだよなぁ。どうかな。わかんないけどね。

私が「自分にできることしかしないよ」と言うのは、リスクでもある。人によってはやる気がないと思われるかも知れない。でもそれで良いと思う。だって普通に考えて、自分にできないことってできなくないですか?それに挑戦するって言うのはまた別の話ですし。自分にできることなら、なんでもします、と言う意味合いで言ってます。それを汲み取ってくれない人は多分、使っている日本語が私と違う人なので、近づかないのがお互いのためだと思う。

 

 

細かく書いてみたら、何が言いたいのか分からなくなってきてしまったな。つまり今の私はこういうことを考えて生きています。

 

おしまい

 

親しい人たちへ

やっと最近正常になってきた気がします。ので、今ここに懺悔したいと思います。

 

私はこの約半年メンヘラでした。

小学生くらいの時からもともとメンヘラだったんですけど、明らかに性質が違いました。大事な人たちであるあなた達を巻き込んでしまったり、時間を割かせてしまったり、迷惑をかけてしまった。今までの人生で、これほどまで自己中心的に生きたことは無かった。

他人様を、自分が中心にあるトピックに巻き込むことは純然たる恥だと思って生きてきた人間なんですけど、あまりにもな出来事がありすぎて私は私一人で私に関わる事柄を抱えきれなくなっていた。

体重もひどく増減して、昼夜逆転して、食生活なんて1ミリも気をつかわず、仕事も何も続かなくて、しょうがないから時々めちゃくちゃ汚い仕事もしてバカみたいな高熱を繰り返したり、知らんうちに服がボロボロになってたし、買った覚えのない野菜が床で溶けていた。本当に社会偏差値が2だった。今は30くらいになりました。

演劇を数年やってるんですけど、その中で出会えた親しい人たちのことは、出会ってからずっと大切にしたいと、本当に思っていました。あなたのことです。

だって、私は自分がひどく凡庸でつまらない人間だと思っていて、自分に自信がないし、すぐに慌てるし、要領も良くないのに、それでも「樹紅って面白いね」とか「好きだよ」って言ってくれたり、言わなくても、酔いつぶれたり間違って終電逃したりメンヘラになってしまった私(ばか。でも当時は偏差値が2だったので…)を黙って家に泊めてくれたり、やばいことしようとしている私に電話して止めてくれたり、私は本当にあなた達がいなかったら生きていません。比喩じゃなくて、本当に。

それなのに私は、ここに書くのもはばかられるようなひどいことを、あなた達にしてしまった時があった。本当にごめんなさい。

優しいあなた達に甘えて過ぎないようにすること、そして、そうするならそれなりに自分の中でケジメと言うか、じゃあどうするかみたいなことを考えて実行することが、私にはここ約半年、出来なかった、考えられなかったのです。陽の光を避けて、「自分を大事に!自分を愛そう!」みたいな思想のムーブメントを避けて、ただ布団に横たわって消費カロリーを抑えて食費を削る日々でした。

私はもっと強くなりたいし優しくなりたいし、こう、もっと、しゃんとしていたい。なんか言葉で書くとほんと陳腐なんだけれど。

 

みんな知ってると思うけど、私は人付き合いが本当は苦手で、LINEも急に返信しなくなってしまったり、待ち合わせの時間を守るのは、針の穴に糸を通すことより難しい(ごめんなさい)

それでも、時には叱ってくれたり、許してくれたり、黙っていてくれて、ありがとう。

こう書いてると本当に自分はクズだなぁ。

今の私がいるのは、紛れもなくあなた達のおかげです。私のために作ってくれた時間、連れてってくれたお店、教えてくれた映画、音楽、何よりも、めちゃかっこいいあなた達の存在に支えられています。私のことを、スワイプして消さないでいてくれて本当にありがとう。

 

いっぱい失望させてしまったけれど、とにかく私は元気だと伝えたかった。

ごめんね、そして、ありがとう。

私はこれからも頑張ります。

 

東京行った際は、ぜひ会って欲しいです。

 

 

都会と田舎と自分

東京の好きなとこは、

 


1位他人に無関心なとこ

2位気候

3位物価安い、便利

 


人多すぎるから別に学歴がどうでもあんま気にしてないし、いつ居なくなるか分かんないから「今」にいちばん意識がいってる。そんな感じ。

田舎はさ、実業高校行ったら地元の会社に就職、普通高校行ったら大学行って就職、が王道で定番で常識で、それを外れたらめっちゃ噂になる。私は別にその王道がわるいとかを言いたいんじゃない、理にかなってるし。けどそれから外れた者に対して「○○さんちの長女は、これっからどうするずら」とか普通に話す。こわ~。

あと、地区の中に「組」制度があって、組の中のお葬式とかあると、組の家庭総出で手伝いするんだけど、仕事とか旅行とかの都合によって出られないと、欠席代みたいなの数千円取られる。意味わかんな~。

あとこないだ地元かえったとき、日中テキトーに散歩してたら、次の日に近所のおじさんに急に「昨日、上(の地域)の方まで歩いてたら!(歩いてたでしょ)」とか何とか言われて、ほっとけ~ってなった。

すいません、田舎の悪いとこの愚痴でした。

 

 

 

5月以降に吹く風は、山梨にはぜったいに存在しないような軽さ。爽やさを感じる。(山梨は湿った熱風で人間を殺しにかかっている。)

 


物価。東京はなんでも高いと思ってたけどそうでも無い。野菜から化粧品から、お金を出すものは全部ピンキリ。安いもの買おうと思えばいくらでも安いものが手に入る。いくらでもは言いすぎた。ごめん。都市には価格競争が存在するのだ…。

 


あと、出前とれる。これはすごい。田舎だと、ピザ頼もうとしたら配達圏外みたいなこと普通にある。ウーバーイーツも、アマゾンプライムnowも全部届く。すげーー便利。私のような生活能力ない人は東京の便利さに助けられる場面は多いはず。

 


あと、ランキングには入れんかったけど、東京の人はあんま田舎を馬鹿にしないっていうのもあるとおもう。てか、田舎の人、東京を目の敵にしすぎじゃない?

 

 

 

なんか、田舎disみたいになったごめん。

これから田舎に帰るのに、そこでも敵を作りかねないな。

都会の比較対象ってどうしたって田舎だからさ、ごめんね、田舎。

田舎にもいいとこけっこうある。

 


田舎のいいとこ

1位 静か

2位 どこも広い

3位 終電気にしない

 


いやー静かよ。都会って、静かだと言われるとこでも、遠くの高速道路の音がかすかに聞こえたりとかする。狭い部屋の冷蔵庫の音とかもある。けど田舎はマジでそういうの無い。静かな時は本当にしずか。シーーーンって聞こえるレベル。けっこう癒される。

 


どこも広いよね。スーパーもお店も駐車場も道路も。場所の余裕は心の余裕。てか、東京の距離感がおかしいんよ。電車とか知らん人のすぐ隣にずっといないといけないじゃん。あの独特な近さはすごいことだと思う。

 


終電の概念がない。「あ、ごめんなさい、私、終電があるのでお先にドロンします!シュシュシュ~笑」みたいな、あの長澤まさみには絶対なれない。あれ、長澤まさみは終電あるから帰ったんだっけ?忘れた。車はサイコー。好きな音楽かけて歌って好きな時間に家出て帰れる。維持費はかかりますが……。

 

 

 

話飛ぶけど、意識高く色々頑張ってる田舎ってあるじゃん。空き家を今風にリノベしました、ゲスハ作りました、アート系のことやります、とか。あれってなんで都会の人視点なんだろう。「都会的な魅力」を感じる。上手く言えない。俗っぽく言うと、都会の人が好みそうな感じ。さっきも言ったけど、田舎の対比は都会だから、そうなるのかもしれない。比較をしないと魅力は分からない。

なんか、まずは地元の人達がもっと住みやすくして、地元を好きになるようなことをしないとなんだろうな、順番的に。まぁ結局、そういう企画やるのは若い人で、都会的なセンスになっちゃうのかもね。私は知らない話だー。

 

 

 

 


結論

 


どこに住もうがお前はお前、私は私。住む場所変わればなんか変わるとか期待するのは幻想。どこにいったってそこに生活があるだけ。

住む場所を変えただけじゃなんにも変わらない。関わる人が変わって、それを活かしたりとかしてかないとだめなんだろうね。

 

 

 

ところで、ハーゲンダッツ食べたいなー。

 

最近考えていることの羅列

前回の記事から100日以上たってたよ

 

100回以上寝てるってことですよね

 

すげーなー。

 

常日頃思うことは基本的にTwitterで呟いちゃうんだけど、あんましTwitterでおおっぴろげに言うのもはばかられるようなことはここでテキトーに書いてしまおうと思う。

 

 

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中島義道がとても好きだけど、中島義道が好きな女、多分モテない。

 

 

「夢追ってていいですね」

私の夢がなんなのか知って言ってるのかねえ。

私の夢は朝ドラヒロインじゃなく、お金持ちになって健康になって、静かに暮らすことです。知らなかったでしょ

 

 

自分の体や精神にとって、心地よいと感じるポジションやポイントを見つけること

 

 

2019年は、冒険の年にしよう

 

 

私にとって、定められた期間内に、定められた場所(それも閉鎖的であり、基本的に一度入ったら出られない)、定められた時間に始まる時点でじゅうぶん演劇なんだなあ

 

 

youtubeで、「ももと天」(熊本の山の中のお屋敷で、若いご夫婦(パパさんとママさん)と、黒猫の天(水飲むのがめちゃくちゃ下手)と、柴犬のもも(お利口だし、とにかく犬!!って感じがして最高。昔飼ってた犬に似てて好き))の、生活記録的なチャンネルと、おたる水族館の「言うことを聞かないペンギンショー」をずっと観ている ほんとうにずっと観ている スマホに向かって「かわいいねェェ〜!」って叫びながら観ている

 

 

 

アップリンク吉祥寺で『万引き家族』みたときに、樹木希林がお仏壇に向かって手を合わせている画で数分間映像が止まって、それは結局映像トラブルだったんだけど、その時のあの空間は面白かったな  是枝監督、演出が前衛的すぎるだろ、途中で映像止めちゃえっていう発想は理解出来ても、それを樹木希林の背中が部屋の奥の方で小さく映っている部分にするっていうセンス、理解できないわって思って興奮した Twitterで知ったけど、次の日、アップリンク吉祥寺は機械トラブルで上演がぜんぶ中止になってた

 

 

チーズにハマって数ヶ月 毎日チーズ食べてます

白カビとか青カビが好きや

 

 

人生で1回だけ、ネイルサロンでかわいいネイルをしてもらったことがあるから、「ネイル可愛いですね」と言われるとうれしいことを知っています

 

 

なにか伝えたいことがある時、その分文量多くする方法と、一言に重みをつけて簡潔に伝える方法があって、私はどちらかというと後者に魅力を感じます 技術が試されるので なんの技術かは知らないけど

 

 

上記までの文、書き溜めていた訳ではなくて、全部書くのに10分かかっていません

いわゆるアーデーハーデー(ADHD)傾向の脳みそなので、常に複数のことが頭にある

まだまだ書くよ(たぶん)

 

 

 

自分の判断が常に正しいと思っている人が一定数いる 悪いことではない 今までの人生で、自分の判断によって失敗したことがないというだけのこと 素晴らしいことだ(嫌味とかじゃなくて) 

私は中3の時に、部活の同期たちに呼び出されて、「そりゃウチらは○○(私の本名)みたいに頭良くないけど、ウチらなりに一生懸命考えて意見話したりしてるから、それが○○と違ってても嫌な顔しないでほしい」みたいなことを言われて、なるほどなあ、振り返って考えてみてもやっぱり私の判断や意見の方が正しいとは思うけど、問題はそこじゃないのか、集団で動く時に1番大切なのは、正確さじゃなくて、感情なんだなと勉強になった そこから5年くらい自分の意見を一切言わなくなった 極端なんだよな その時は「ごめん」と謝りながら、めんどくささの方が勝ってたから

 

 

年始の東京、人がなんだか疎らで、お店は閉まっているし、コンビニはなんか品薄で、なんとなく3.11直後を想起してしまって薄気味悪かった

 

 

 

このトンネルは、いつになったら抜けられるんだろうか 

 

 

 

可愛げがないせいか、高校演劇オジサン達に避けられてるのウケる そんな自分が大好き

 

 

あのねえ 私だって「働きたくないから働かない」って言いたいよ でも働かないとまたあの悪夢のような時代に戻ってしまうから働いているのだ 

 

 

 

銭湯は都会に限る 田舎は地元のババア達が占拠していて、見慣れない人が入ろうものならすげえジロジロみてくる

 

 

 

田舎でいちばんしがらみなく暮らす方法は、変人さを出すこと  田舎に蔓延る、仕事、出身校結婚の話題の土俵になるべく乗せられないようにするためです 噂をされても、「まぁ、あの人、ちょっと変わってるからね」で終わらさせることが一番シンプルな方法

 

 

 

断捨離ができなかったんだけど、「死に支度」と頭の中で言い換えたら、どんどんモノが捨てられる捨てられる そうか、みんな死に支度をしていたのか!これは衝撃だった 

 

 

めちゃくちゃかっこいいスタイルの男の人だ!と思ってよく見たらヒールのある靴履いてた かっこよすぎる 男の人、どんどんヒール履いてほしい

 

 

 

歌うまくなりたい

 

 

 

aesopの店員さんのお顔がめちゃくちゃタイプすぎて買い物してしまった ちょろいな本当に

 

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マンガを一番コスパよく読むにはどうしたらいいのかな 新品を定価で買っても読むの20分とかで終わっちゃうのはやだ TSUTAYAとかBOOKOFFかなー

 

 

 

きっとロングヘアに憧れ続けて死ぬ

 

 

 

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おしまい。

 

 

最近あった、楽しいことの記録です

 

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茨城県の県立下妻第一高校演劇部におじゃました

とにかく可愛かった

すこしでも役に立てたら嬉しい

 

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初詣は花園神社でした 

中吉 探し物は見つからないらしい 勉強はした方がいいらしい

 

 

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茶髪にパーマなので、なにかアレンジした方がかわいくなる髪型だと気が付き、人生で初めて髪の毛を飾るものを買った